けめこの綴り帳

不良ばぁばの胸のうち

罪と罰

産みの苦しみってあるんですよね

今がその時なら、耐えるしかないのかな

悪の終焉?

最後の悪あがき?

 

誰でも自分の中に悪は存在していて

共存しながらそれでも善でありたいと思う

善であると信じ悪を働くのは偽善ですか?

罪作りなのは

悪と知りながら偽善を働くこと

罪はどんな思想、哲学、人生観、主義、または命令であろうと

罰を受けることになります。必ず。

法治国家であれば法律に則って裁かれます

運よく法の裁きを逃れたとしても

善人であるならば

自らに罰を与えずにはいられないでしょう

それをしないのが

本物の悪人

人を殺そうが、人を薬漬けにしようが、人を廃人にしようが

おかまいましです

そんな悪人は、何によって裁かれるのでしょうか

誰でも大なり小なり罪を犯します

時に、罰を受け入れることが救いになります

罪は自ら作り出したもの、であるならば

罰もまた、自らが自らに課すものであると思います

良心にしたがって。たぶんね。

 

ドストエフスキーの「罪と罰」を読みました

学がないので難しい考察は出来ませんが😓

ラスコーリニコフが殺害を決意したのも、自首をしたのも

彼が善人であったからだと思いました

彼が罪を犯してまで欲しかったものは何なのか

彼に自殺ではなく自首をさせたものは何なのか

読み進めるほどに彼に魅かれていくのはなぜなんだろう

 

さて

罪を認めない皆さん

最後の審判に臨む覚悟をお持ちですか😊

楽しい週末を❤

おやすみなさい🌙