けめこの綴り帳

不良ばぁばの胸のうち

見て見ぬ振り

「見て見ぬ振り」は悪い意味に捉える傾向があるけれど

私は必ずしも悪いことだとは思わない。

それは、相手の状態や状況によって違ったりする。

 

例えば、当事者が明らかに自分の非を自覚している場合。

こちらが静観していても解決する場合があるし、

敢て何も言わないことが正解の場合もある。

 

例えば、当事者が聞く耳を持たない者だとわかっている場合。

これは以前に忠告や助言をしているのかもしれませんね。

自分の時間を誰のために使うのかは大事なことだと思います。

 

見て見ぬ振り、なんていくらしてもいいと思うんですよ。

それで、薄情だとか臆病だとか意地悪だとか傍観者だとか言われるかもしれませんが。

でもね、見て見ぬ振りをしない時は動機がある。

これは見て見ぬ振りをしてはいけないという、自分の中の声。

たぶん多くの人は、見て見ぬ振りをすることが多い。

でもね、自分の出番だな、と思った時は出ていくんだと思うよ。

 

立春も過ぎました

東風解凍

はるかぜこおりをとく

春はもうすぐ

平和ボケ

今日は簡単に。

 

日本は平和だって未だに思っているのは平和ボケ。

日々流れてくるニュースを見て、平和だって思う?

戦争をしているウクライナに比べれば平和だって思う?

戦争の形はあれだけじゃない。

 

毎日毎日テレビを見ているんだったら

近頃同じような事件が多いなとか、

また岸田君が増税だって言っているとか、

昆虫食ブームがきているのかとか、

コンビニや回転寿司で不祥事が続いているなとか、

世の中の出来事はだいたい把握できますね

 

コロナ感染者数とウクライナ情勢は日課のよう発表しますね

なぜなんだろうと考えたことはありますか。

 

うろ覚えですが

世界の安全度ランキングで日本は33位です

もう日本は世界屈指の安全な国ではないのです

世界がそう評価する理由をたぶん日本人は理解できないのでしょう。

なんせ平和ボケですから。

 

わたしたち

なかなか面白い時代に生きてます

さて、今日も頑張りましょう

おやすみなさい

他人の関係

【その気になりゃ勝手に友だち100人】

最近気になることがあります。

読者になっているブログがあるのですが、その方の投稿が止まっているのね。

後、Twitterでもいつもギター演奏をのせていた人が1ヶ月以上投稿なしで…。

 

SNSで繋がった人との関わり方っていろいろです。

本名も住まいも顔も声も知らない人が大多数。

つまり、素性の分からない者同志の交流。

最近お姿が見えないからと言って、どうしたのかな?と思うしかない。

 

私はTwitterでお友だちになってくれた人に会いに行ったことがあります。

ひとりはZOOMでお話をしていたのでそんなにワクワクはしなかったかなぁ😅

もうひとりはドッキリみたいに突然訪問したので、妙に緊張してしまった😆

 

話が飛びますが

メルカリで雑誌を売ったのね。四国遍路の記事が載ってるんだけど。

それを買ってくれたのが、お遍路宿を経営しておられる方で。

いつもはあまりコメントのやり取りはしないのだけど、文面から受ける印象が心地よくて。メルカリでこんな交流があるとはね。ちょっと嬉しかった😊

いつかお遍路に行って逢えたりしたら奇跡かも。

 

SNS

素のままのようで仮面をかぶっているのかもしれないし。

装っているようで地をさらけ出しているのかもしれないし。

でも、それでいいんだな。

そういう出会い方、繋がり方、関わり方。

まさに一期一会。だからこそ

会いたい人には会っておこう、と思うこの頃。

 

このブログを読んでくださるみなさん

本当にありがとうございます。

気力がある限り続けていきますので

また覗きに来てくださいね😊

近況

ここ2ヶ月ばかりは絵を描くことが優先で

ギターの練習をサボってしまった結果

弾けていた曲が弾けなくなったー😭

 

絵はどちらかというと集中して描くか

描いたら2,3日放置して見直すかという感じですが

ギターに関しては

毎日弾くことがいちばんの上達の鍵なんですね

たとえ10分でも、たとえワンコーラスでも。

 

サボって弾けなくなってイライラするくらいなら

毎日10分の時間を作ろう

そう決意した夜。

 

最近ちょっと不調なんです

何となくブレーキがかかっているというか…

水の流れが悪いというか……

「待て」がかかっている感じ。

上手くいかないというより

チグハグなんですね~いろいろと…

 

ま、ボチボチですな😊

おやすみなさい

叱る

今日の話はどう書こうかチョット思案しているのだけど…。

 

若者の悪戯やおふざけやチョット度を越した行為なんて

昔もあったはずなんだよね。

しょーもねぇ奴、あきれる奴、いたよ。

今と昔とで違いがあるとすれば

叱ってくれる人がいた、ということ。

時には拳骨やビンタなんかが飛んできた。

そんな年寄りや親や先生がいた。

 

いつからか

叱ることは悪いこと

子どもはほめて育てましょう

そんな世の中になっていないか。

叱られたことがその子のトラウマになるなんて私は思わない。

仮にトラウマになったのだとしたらそれは

叱った者が未熟であったのではないか。

叱り方を知らない大人がいるのも事実。

別に叱り方というマニュアルがあるわけではない。

叱るというのは

物事の善悪を分からせ

していい事してはいけない事の判断をさせ

場合によっては謝罪と反省を求めるもの。

叱るというのは

その行為に対して発するものであり

決して人格を否定するものではない。

 

叱らない、のは不親切。

叱られないのは、悲しいことだ。

 

我関せずの軽薄な人間社会の中で

子どもであれ大人であれ

誰かを叱る、というのはとても濃厚な接触になる。

面倒くさいし厄介なことにもなりかねない。

叱ることも叱られることも放棄した社会は

真の大人になれない幼稚な大人ばかり。

 

叱りたくても叱れないのは

大人になっていない証拠。

そんなことを考えた夜

 

柄にもなく真面目な夜😆

おやすみなさい

年寄りの性

【セイではなくサガと読んでね😊】

年を取ったからこそできるのが

…説教😅

 

年を取るとね

本当に若い頃が懐かしくなる

あんな馬鹿なことをして

あんな無茶なことをして

あんな恥知らずなことをして

あんな子供じみたことをして

あんな一途なことをして

あんなにあんなに

輝いていて……

 

消してしまいたい記憶も

人知れず流した涙も

握りしめた悔しさも

捨てられない思い出も

すべてが愛おしいと思えたら

それで十分

 

年を取るのは

果実が熟していくようなもので

あの固く青臭かった頃の自分には

もう戻れない事を知っている

あの頃にはあの頃の無邪気な自分がいて

そんなたくさんのあの頃の自分を

今の私はまるで他人事のように

心を抉るように懐かしむ

 

年を取るとね

(大丈夫、心配しないで、大丈夫、あなたの決めたままに…)

心の中でそう言ってあげたくなる

年を取るとね

説教じみたことはしたくない

なのに…説教してる😅

年寄りの『性』…サガですね

 

若い頃に一生懸命に生きたからこそ

若い人や一生懸命に生きている人を

応援したくなるんですね

あの頃の自分がそこにいるようで。

 

さて

年寄りの説教

聞くべきか聞かざるべきか

それは多分…

いろんな説教を聞いているうちに

分かってきます

肝心なのは

聴くべき説教を見つけることです

人生の達人は必ずどこかにいますからね。

 

という事で

今日の説教はいかがでしたか?😆

では、おやすみなさい😊

死算

Twitterで拾った詩

 

『死算』

じつは

大きな聲では云えないが

過去の長さと

未來の長さとは

同じなんだ

死んでごらん

よくわかる。

 

淵上毛銭、という詩人らしいですが。

 

こういうのを見るといろいろ解釈しちゃうんですが…

生まれた時に過去があり

死んだときに未来がわかる

生まれた時には死ぬ未来があるのだから過去が存在し

死ぬ時の過去は未来そのものだった、ってことよね

いや、よくわからんが😅

もしかしたら

過去も未来もないのかもしれんしな……

あるのは今この一瞬とか…

ま、死んでからのお楽しみやな😅

 

てかさ、この人死んだことあるの?😆