『失ってはじめて気づく』
これが『真』であるならば
気づくためには失うことが必要である
今は失うことばかりだね
気づくために?
お金を家を仕事を家族を友人を失くし
自然をつながりを道徳を信仰を心を失くし
その先で何に気づくのだろう
日本中の山にソーラーパネルが設置されている
日本中の海岸に風力発電機が乱立している
それを見てSDGsの推進を声高に叫ぶ人もあれば
それを見て無残な自然破壊に心を痛める人もいる
ベクトルが完全に逆方向を指している
ここで考えなくてはならないのは
何かを手に入れるために、何かが犠牲になっているということ。
AのためのB
Bの犠牲を正当化あるいは美化するためにはAが『真』であり続けなければならない。
太陽光発電機が風力発電機が、わたしたちの暮らしに豊かさを与えてくれているのなら文句はないのかもしれません。(すでに恩恵を受けているのは利権のある人であり、庶民には未来の夢のように喧伝されていますが……幻ですね…)
いかし何の恩恵もなく、更にその機体が悪影響を及ぼし、果ては処分不可能なごみの山とでもなれば、その時初めて失ったものに気づくのです。
にんげんは傲慢にも、自然を破壊し負の遺産ともいうべき人工物を作り過ぎたのかもしれません。
実は、本題はここにあらずで。
旦那さんの知り合いが亡くなりました
40代の男性で、急死です。
必ず年に一度は顔を合わせ、祭りにも参加していました。
持病もなく健康そのものでしたのに、言葉もありません。
何度も言いますが、ここ2,3年亡くなる方が身の回りで多すぎるのです。
お年を召した人だけではありません
やはりどう考えてもおかしいのです
失ってからでは遅い
そんなこともあります
何が遅いって?
気づくことでしょ
気づいてさえいれば何かが違ったかもしれない
それでも
失ってから認めるのかな
そんなもんか、にんげんなんて
わくちんのせいじゃない?
その問いへの反応が以前とは違う
いいことなんだろうか
もう言わないけどね
えらく落ち込んでるよ、旦那さん…
雪のない大寒でしたが予報には暴風雪の雪だるまが🥶
体調管理をしてお過ごしください
おやすみなさい