今日はちょっとスピリチュアル的なことを書きます。
極少数の人は知っていますが、わたしは多分他の人が感じ無い事を感じる。
いちばんはよくわかるのは、神社に行くとおかしくなる。
一時期行動を共にした人たちがいて、正直あの頃は楽しくもあり辛かった。
同じ頃、いわゆる言葉が降りてくる、みたいなことがあってそれを夢中になって書き留めたメモ帳が何冊もあります。
今それを見返しているのですが、果たしてこのまま残していいものか処分してもいいものか迷っていたのですが………。
そのままではなく、ポエム的に私の創作という形にして残すことにしました。
私がいなくなった後、子どもたちには読んでほしいから。
世の中には、霊能者とか視える人とか、そう呼ばれる人がいますが、わたしはそういう人が特殊な人間とは思いません。
にんげんは誰ひとりとして同じではありません。
生まれ持った能力も、獲得した能力も違います。
だから得られるものが違うのは当然のことです。
また、誰もが持っているものでも性能が違えば働きも違います。
同じものを見て感じ方が違うのも当たり前です。
あなたには視えるものを私は視ていない。
人はみな、自分の全ての装備を駆使して自分の世界を構築している。
知ってか知らずか、でもそういうものだと。
先ほど、言葉が降りてくる、と言いましたが。
これも、何か崇高なものが与える、とは思いません。
言葉は、自分の中から湧き出てくるもの、だと。
現れた言葉、言うなれば言霊みたいなものが、自分の言葉ではないと認識するのであれば、自分の中の神様みたいなものが発動した、という風に考えます。
異論があると思いますが、自分の能力を何かの役に立てようとするのは間違いだと思います。それよりも先にすることは、自分の人生を豊かにし味わい幸せになることです。その先、お役に立てることが幸せ、であればいいのです。
ギターが上手に弾ける、英語が堪能、薬草の知識がある、星詠みが出来る、クレーム処理がうまい、料理が旨い、猫の気持ちがわかる、感情をコントロールできる、大喜利のボケが秀逸、、エスプリが効いてる、いるだけでその場が華やかになる、言いにくいことを適切な言葉で伝える、短い言葉で真理を突くetc……。
私の周りには私から見れば特殊能力全開でキラキラしている人がたくさんいる。
そんな人たちを見て、にんげんっていいなぁ~と思いながら暮らしている。
さて、真夜中に私は意味不明のメモ帳と格闘するとしよう。
みなさん、おやすみなさい。