けめこの綴り帳

不良ばぁばの胸のうち

言葉を楽しむ

小説など書籍を読んでいて心に残る一文があります

例えば

「恥の多い生涯を送ってきました」太宰治

「一杯のお茶を飲めれば世界が破滅したってそれでいいのさ」ドストエフスキー

私などはすぐに解釈をしてしまいます

恥の多い生涯って何だろう?

恥のない人生なんてあるんだろうか?

ドストエフスキーが言いたいことは何だろう?

世界の破滅よりささやかな日常が勝ることの真意は?

個人にとって世界などとるに足りないことなのかしら?

つまり

作家の紡いだ言葉から哲学が始まるのです

学校のテストで「作者の意図を答えよ」という問題を考えるようなことですね

じゃあ作者の意図という正解があるか、と言うとないです、たぶん。

 

同じ一文を見ても娘は違った反応をします

「作者が何を言おうとしているのか」にほとんど興味はないようで。

こういう言葉が好き

こういう言い回しがかっこいい

これは何かふわっと青のイメージがある

解りそうでわからないところがいい

人間失格を書いて死んだ太宰が愛おしくなる

こんなことを言います

どうしても解釈に行ってしまう私には腹が立っているみたいですね

娘の視点はその一文から考察できる人生論ではなく

その言葉の響き、そのフレーズの美しさです

ある意味純粋に言葉に共感しているのです

私は哲学

娘は芸術

「なにを」と「なにで」の違い

そんな感じです

まるっきり正反対のように思えますが

実は同じ本を読んで感想を言い合ったりしています

確実に読書の質が変わりました、私は。

何かを得るために本を読むことも大事ですが

楽しむためだけの読書もいいなぁ、と思うこの頃。

しかし、娘は私以上に読むのが早い💦

電子書籍でさくさく読んでしまうのです

ますます寝不足と眼精疲労の母です😆