「違う世界線」とか聞きませんか?
よく「住む世界が違う」と言いますが
金持ちと貧乏とか、芸能人と庶民とか、高学歴と高卒とか、それは単に優越感劣等感の裏返しでしかありません。
例えば、いつも夢見がちなロマンティックな人と現実主義の人は済む世界が違うのではないかしら。
もしかしたら、文学部の人と理工学部の人も違うかもしれませんね。
進む線の違いは何なのかと言えば『観念』や『理念』の違いなのかな。
簡単に言えば、見えているものの捉え方と感じ方の違い。
例えばこの3年間
マスクをする人しない人、ワクチンを打つ人打たない人、政府を信じる人信じない人、コロナを怖がる人怖がらない人、テレビにかじりつく人テレビを捨てる人、ポイントをもらって喜ぶ人全く興味のない人、などなど
この違いがなぜ生じるのかと考えた時「住む世界が違う」と思った。
ならば、これから進む世界も違うはず。
これから先、手にするであろう未来像も違うはず。
人は見たいものを見て、見たくないものを見ない
自分の人生に何が必要で何が必要ないのかを知性と感性と経験から選択する
あってもないと思えばない、なくてもあると思えばある
そんな世界で私たちは生きている
コロナとはこういう物である、という『概念』の中で
コロナに対する『理念』や『観念』は人それぞれ違う
本来、それが尊重されるべきなのに個人の考えは押しつぶされてきた。
いや、個々人が自らの思考を停止してしまった。
結果、世界線が別れてしまったとのだと思うのです。
いつも行くスーパーで1人の女性に「マスクしてください!」と大声で言われ写真を撮られたのは何年前だったかな😆
それ以来、そこのスーパーでは鼻だし忖度マスクをしていた娘ちゃん。
今日はマスクをしていませんでした。
世界線が変わったのかな…
知らんけど😊